AUS語学研修紀行誌の一部を掲載します。 語学研修の毎日の様子はこちらから
オーストラリアの道端から
3日間のホームステイで朝は別のホストマザーが迎えに来てくれた。そのお迎えを待っている数分のお話。毎朝少し早めに歩道沿いに出てホストマザーと一緒にお迎えを待っていた。目の前の歩道を横切るランニングをする人、犬の散歩をする人、鼻歌を歌いながらウォーキングをする人などたくさんの人を見た。そんな中私の髪の色などを見て話しかけてくれる方がいた。大体の人はまず
「Are you Japanese? Chinese?」と聞かれ「Japanese」と答えるとたくさん質問をしてくださった。例えば寿司は有名なのだろう?と聞かれたり、何日ここにいるの?と聞かれたり。日本では道端で若い方に話しかけられるのは滅多にないので、(ご年配の方にはよく話しかけられる)楽しかった。
様々な会話の中特に印象に残っているのは黒く痩せた、細長い犬の「ロイヤル」くんの話だ。若い女の方が散歩をしていて私を見かけると「hi!」と声をかけてくれた。ロイヤルくんの方は静かに待っている。話の内容は、「この犬はロイヤルというの、とってもいい子だから話しかけてあげて。」だった。「I see」
と言って「ハローロイヤル」と話しかけると今まで静かだったロイヤルくんが急に吠え始めた。びっくりしてオロオロしていると「ロイヤルのロはLじゃなくてRだ」と教えられ言い直すと鳴き止みすり寄ってきた。日本ではそこまで意識しないが発音は大事なのだ改めて思った。自分の名前に誇りを持った犬は印象的だった。
翌日。またまた犬の散歩をしている女の人に話しかけられた。同じ犬種に思われるが異様にまるまるしている犬と普通サイズの犬を連れている。特に受け答えはしなかったが面白い話を聞き取ることができた。まるまるとした方はご自身の犬で普通サイズはお隣さんのを預かっているそうだ。どちらもかわいいでしょう?と自慢げに去っていったが、私の隣でホストマザーがあの家に長いこと預けられていたら痩せた方もああなるわね(太る)と笑いながらつぶやいた。私はその時早くて聞きにくい現地英語だったのに聞き取れたことが嬉しくて、理解した瞬間話が面白くて、初めて自分の耳に少し自信を持てた。とっさに「I think so too」と答えたが、ホストマザーがあなたもそう思う?と笑っていたのでそこで初めて流暢な会話ができた。
初めて会話がすらっと頭に入った時、その会話で初めてホストマザーと同じものを見て笑えた。海を隔てて遠く離れた国の人同士が繋がれた。そんな気がした。やはりたどたどしい私の英語、早くて聞き取れないマザーの英語。壁を感じていた中、この経験をして二人で笑い合えたことが嬉しかった。この感情が、もっとたくさんマザーと会話がしたい、コミュニケーションを通じてお互いを理解したいと思うきっかけになった。
そんな気持ちになってすぐホームステイが終わってしまった。さらなるコミュニケーションへのワクワクを残し帰国してしまったことが少し悔しい。いつかホストマザーに会いに行くことを夢に、その時はもっと楽しく笑えるようにこれから努力をして行きたい。
ホームステイは最も楽しくとてもいい経験で、私の英語への興味を深める引き金となった。
いざ、地球の裏側へ
私のホストファミリー、正確にはマザー以外のファミリー3人は、私のことを中国人だと思っていたらしい。ホームステイ初日にお家にお邪魔して、一通り自己紹介を終えてからの彼らの開口一番は、「You are a Chinese, right?」だった。「あなたは中国人だよね?」。
だよね?と言われましても、と思った。慌てて日本人だと弁解すると、寝起きに水をかけられたように驚いた顔になった。こちらの方がびっくりである。私は孫文の末裔か何かだったのだろうか。どうやら、彼ら含めオーストラリアの人々からすると、日本人も中国人も韓国人も非常に区別しがたいようだった。
それとは全く関係はないが、セントアイビス校での私のバディが中国人だった。2つ年上の彼女は、中国語はもちろん英語もペラペラで、日本語はまだ勉強中と言っていたが、私の英語より断然上手だった。将来は有望なトライリンガルになると思う。美人で優しいバディ、ルイーズは、2つしか違わないとは思えないほど大人びて見えた。文法はめちゃくちゃ、単語のつぎはぎだけの私の英語でもしっかり聞き取ろうとしてくれる姿に、それまでの私の不安は一気に吹き飛ばされた。
また、セントアイビスで意外に思ったのが、生徒が案外オーストラリア人だけではないということだ。ルイーズと同じ中国人も何人かいたし、アジアだと台湾人やインドネシア人、さらにフランスやロシアから来たという方々とも友達になれた。オーストラリアは、私が思っていたより国際的な国だったんだな、と感じた。彼らはみんな仲が良く、年齢、男女問わず気軽に話せるあたたかい空間を体験することができた。同時に、言葉が違っても何ら関係なく受け入れてくれる優しい心根を、私も見習わなければいけないと思った。
さて、そんな私をかの経済大国人だと思っていたホストファミリーも、もちろん私にとても良く接してくれた。家族の一員として迎えてくれるが、過度にテリトリーには侵入しない。その丁度良い距離が、私には心地よかった。みんな日本から持って行ったお土産をとても喜んでくれ、マザーのジュディがつくるご飯は毎回頬が落ちるくらい美味しかった。夜にはシスターのマリーと星空を見たり、ブラザーのエイドリアンは私をミーティングポイントまで迎えに来てくれたりした。それに、ファザーのジョージはとても陽気でユーモラスな人だった。ある朝家を出るときにミーティングポイントまで送るのでトラックの荷台に乗ってと言われて乗ったら冗談だと言って笑い、荷台から私を抱えて降ろしたという逸話を残した。それから、最後に忘れてはいけないのが、シベリアンハスキー(?)のドギーと猫のスマッジ、何羽もの鶏さんたちだ。彼らも彼らなりに、私を歓迎してくれているように見えた。
そんなこんなで、オーストラリアでの6日間はあっという間に過ぎた。今では、本当に「あっ」と言っている間に過ぎ去ったような気さえする。とにかく私が学んだのは、たとえ人種が違っても、英語がほとんど話せなくても、チンギス・ハンの子孫だと思われていても、自分から積極的にコミュニケーションを取りに行くことが大事だということだ。行きたいところは行きたいと言えばいいし、食べたくないものは食べたくないと言えばいい。日本とはまた違う、ユーモラスな対応をしてくれるかもしれない。逆に相手の言ったことが聞き取れなければ、何度でも何度でも聞くことも大事だ。つい日本の感覚で失礼だと思って何となく解釈してしまったことが多々あったが、それでは本場の英語に触れる意味が何もない。また機会があって海外に行くことがあれば、自分の殻をやぶってコミュニケーションを取りたいと思う。後輩にもそうしてほしいと伝えたい。
あと、シス単は命の次に大切です。
出川イングリッシュの可能性
長いようで短かった語学研修が終わった。改めて振り返ってみると、とても密度の濃い六日間だった。異国の地に行くというのは、楽しみだと思う一方で不安である。私は英語が苦手だ。そして人見知りだ。こんな人間が果たしてオーストラリアから生きて帰ってこられるのか、というほど緊張していた。ホームステイや学校交流などほとんどの事が初めてだった。しかし、びくびくしながら過ごすのはお金も時間ももったいないという精神で、毎日を楽しもうとした。すると、案外どうにかなるもので、そんな緊張は吹き飛んでいった。
この研修を終えて私はある一つの事を学んだ。「出川イングリッシュ」という名前を聞いたことはあるか。出川哲朗という芸人が用いる英会話スタイルである。この出川イングリッシュは、本人曰く、「ハートで語る」だそうだ。この英会話スタイルには文法が存在しない。私は、この出川イングリッシュに幾度なく助けられた。ホームステイ先での会話、学校交流などだ。ここで一つ例を挙げよう。オーストラリアの学校の生徒に、日本文化である独楽を教えている時だ。「弧を描くようにすること、そして地面と平行に投げるといい」と伝えたかった。そこで、「イメージサーコー、アンド、ディスイズセイムアンドセイム(手を地面とその上から前に進むようにしながら)」と言ってみた。後々考えてみると、かなり無理があったと思う。すると、相手にその情報を伝えることが出来た。実際、こんなに伝わるとは思ってもいなかった。テレビでその出川イングリッシュを聞いたとき、伝わるわけがないと思ったからだ。だからこそ、自分も驚いている。自分でも何を言っているのか分からないほど一生懸命に伝えようとした。その伝えようとする気持ちを持つことが大切だと思った。
私は多くの事をこの研修で学んだ。この体験はとても貴重なものになるだろう。しかし、一つ気になることがある。それは、会話らしい会話をあまりしなかったことだ。確かに会話はした。しかしそれが会話といっていいのかというレベルだったと思う。また、とっさに言葉が出てこなかったこともしばしばあった。これが自分の課題だ。授業はもちろん基礎英語やシス単を真面目に取り組み、地道に英語力を高めていきたい。
Night view on cruise
旅行の醍醐味とは何だろう。現地でおいしい食べ物を堪能すること、心ゆくまでショッピングに明け暮れること、現地の人々と触れ合うことなど人によって様々だろう。私は、その中のひとつに「美しい景色を見ること」を挙げたい。帰りの飛行機の中で「最高の人生の過ごし方」という映画を見たが、そこでも「死ぬ前に一度は雄大な景色を見たいよね。」というシーンがあった。(余談だが、私はその映画を見て、ラストのシーンで感動のあまり涙が出てしまった。隣の席の友達は寝ていたので一人密かに涙していた。)
そう、私が語りたいと思うことはオーストラリアの景色のことだ。シドニーの街並み、海とオペラハウスのショット、はたまた自然あふれるオーストラリアならではの木や花々など、挙げだしたらキリがないくらいの美しい景色を私たちは見てきた。今振り返ってみると、「素晴らしい景色」というのは美しいだけではなく、見た人に様々なことを考えさせる、思わせる景色なんだなと思う。で見た景色ではない。私がより鮮明に覚えているのは窓ガラスを挟んで見た夜景である。
それは,前菜を食べ終わってメインディッシュを待っていた時だ。(私は食品添加物美味しい!という舌が残念な人間なので、ディナークルーズでの料理の美味しさが分からなかった。)ふと外へ目をやると海辺の夜景がそこにあった。丁度暗くなり、「薄暮」から「暮れ」へ移っていくところだった。建物の光が映え、暗闇とのコントラストが明確になっていく。静かに凪ぐ暗くまどろんだ海と、対照的にきらきら煌めく人が作り出した灯。そのえもいわれぬ美しさに、暫くボーッとガラス越しの景色を見つめていた。そのうち、オーストラリアにも当たり前に沢山の人が今この瞬間にも生活しているんだなぁとおもって胸が一杯になり、不意に涙が出そうになった。
美しい景色に感動してただただ見つめている、という経験は多分初めてだったかもしれない。美しいのは勿論、大自然の雄大な景色には無い、人の営みを感じさせるパワーを持ったあの絶景を私は忘れないだろう。